日産自動車、村山工場の車両生産中止について

1962-2001_Murayama_Plant

 日産自動車株式会社(本社:東京都中央区銀座、社長:カルロス ゴーン)は、1999年10月に発表された『日産リバイバル・プラン』のひとつの柱である生産の効率化を進めるため、同社村山工場における車両生産を本年3月30日をもって中止いたします。
尚、本日、最終生産車となるローレルがオフラインし、これにより同工場での車両生産は全て終了することとなります。
 車両の生産中止後も、メッキ等車両部品の製造を当面、継続いたしますが、遅くとも2004年3月末までには全ての操業を停止する予定です。

 村山工場は、昭和37年、第一号車であるグロリアのオフラインを皮切りにプリンス自動車工業の乗用車生産工場として操業を開始、東京都や立川市、武蔵村山市をはじめ近隣の皆様に多大のご支援を賜ってまいりました。その後、同工場は昭和41年の日産自動車とプリンス自動車工業の合併以降、追浜工場、栃木工場等と並ぶ日産自動車の中核的な車両生産拠点として重要な役割を果たしてまいりました。又、同工場では、プリンス自動車工業時代からのグロリア、スカイラインに加え、ローレル、マーチ、キューブなどの日産の主力車種の生産を行い、日産自動車村山工場としての累計生産台数は約968万台に達しております。

 尚、同工場で生産されていた車両は日産自動車の追浜、栃木、九州の各工場へと移管されることとなり昨年秋より漸次実施され、ほぼ移管を完了しております。又、この車両の移管と合わせ、同工場勤務の従業員もこれに準じる形で異動しております。

 また、村山工場の跡地利用につきましては、関係行政当局を含む関係者・関係機関との綿密な協議を行い、その理解と協力の下に、検討を進めて参りたいと考えております。

【村山工場の概要】

昭和37年   プリンス自動車工場村山工場として操業開始
昭和41年 日産自動車村山工場に改組
所在地 東京都武蔵村山市榎1-1
所在は東京都武蔵村山市と立川市の両市。
敷地 1,390,000m2(約42万坪)

以 上